ゴールズワージー著 河野一郎訳
青春の日々よ、もう一度。若き日の回想を廻らす爺さんと、青春の日を買えるならという爺さんのお話。
こういう純文学( でいいと思うけど )は私には向かないな、と改めて感じた。主人公がに共感できない。特に「りんごの木」の主人公、むちゃくちゃを承知で言うと「中二病野郎が自分に陶酔しながら世間知らずの少女を傷つけ自殺に追い込み、最後まで自分のした事を認めない。ジョーのことをバカにしていたけど、お前も同じじゃね? さんざん世話をかけた相手にあいさつもしないの? 」。「人生の小春日和」も、結局自分の思い通りの美しい人形を手元においておきたかっただけ、他人の人間性を認めていない。最後は嫌みの手紙を送って死んでいくと。どちらの主人公も有閑階級で、その体面から抜け出す事ができなかった。「人生の小春日和」の主人公はそれ自体を認めていて、その上で残りの時間を自分の楽しみに使いたいと思っている。このあたりの主人公の気持ちのあり方はすごくよく理解できた。「りんごの木」の主人公はだめだ。…なんて、フィックションの登場人物に何を真剣に怒っているのだか。怒らせるなりなんなりと感情を持たせられる事が著者の力量なんだな。( 本当に読む価値がない本は時間の無駄と放棄して終了だから ) ムカつきながらもずんずん読んでいるのだから。作品としては素晴らしいと思う。文章が美しい。原文が読めたらなー。